
里浜という姓
墓参り

墓参り 2012.2.18
お盆の夕暮れ時に皆で墓に行き松明を焚くのが好きだった。
優しく揺らぐ炎と、松の油の焦げた匂いに包まれると、なぜか瞼が落ち気持ちよい気分になる記憶がある。
時期は違うが、昨日は久し振りに墓参りに行った。我が家の墓は海辺のとても景色に恵まれた場所にある。
海岸沿いに道路が敷かれて周りの自然は形を変えたが、昔からの雰囲気は残されている。この綺麗な自然を我々は後世に残していきたい。
価値観

梅ヶ浜
黒澤明監督の「夢」という映画の中の「水車のある村」で印象に残ったシーンがある。
水車のある村には電気が来ていないことから「夜は暗くないですか?」、「暗いのが夜だ。夜まで昼のように明るくては困る。
星も見えないような明るい夜なんていらない。便利なものを良いものと思い込んでいる。」というシーンだ。
昔と異なる景色を見てふとそのシーンを思い出した。 自分が何に価値観を感じるのか、内なる声に耳を傾けるようにというメッセージであろう。
インターネットで初めて検索したキーワード

日南海岸
インターネットを使ってブラウザで初めて検索したキーワードは自分の姓の「里浜」だった。
父親の姉妹が全て姉であったため、里浜という姓を継いでいるのは父親と私だけではないかと思われていたからだ。
しかしその時は意図した結果を得ることはできなかった。でも・・・
facebookでまさかの出会い
以前、少し書いたことがあるが、アルゼンチンの青年から友達リクエストを受けたことがある。名前を確認するとラストネームにSatohamaと書かれていた。
プロフィールの写真は日本人っぽくなくハーフにも見えない。「アルゼンチン人がSatohamaという姓?まさか!」と思いながらもそのままにしていたのだが、やはりどうしても気になってラストネームについて聞いてみた。
その青年からの返事はSatohamaであると。Satohamaという姓はアルゼンチンでも珍しいことを祖母から聞いたとの内容も書かれていた。
Satohamaという音は日本固有のものであろうと思い考えていたので、御祖母様は日本人ではないだろうかと。
しばらく間が空いてから、その青年の御祖母様より直接メッセージを頂いた。メッセージの内容から日本から移住されたこと、日本に里浜という姓の方がいることを知ることができた。
里浜のルーツ

懐かしい木
2012年1月に徳島に住む叔母が亡くなった。我が家の直系のことを良く知っていた叔母であったが、私は一度も会ったことがなく残念に思う。
以前家系図を作ったのもこの叔母からの情報を父伝えに聞いて作成したものだ。
父親にFacebookで出会った青年のこと、その青年の御祖母様から得られた情報について報告すると非常に喜んだ。また昨日、叔母宅を訪ねその事を話すとルーツについて話してくれた。
3代前の先祖はもともと徳島に土地を持っていたが、神戸に移りある物(農機具)の特許を取得する為に大枚をつぎ込んだ。完成はしたがその発明を盗まれて徳島に保持していた土地を売った。今の徳島空港がその土地である。
その後、里浜組として建設業を営んだが、今のように建設物に対しての保険制度が十分でなかった為に補修を全て自腹でやっていた為に倒産したということである。
輝く未来
息子を2人授かったこと、そして同じ姓を持つ人がいること、それらをとても心強く感じる。
おそらく私の父も同じように感じているはずだ。
もう少し肩の力を抜いていいのだ。もっと自由に選択することができるのだ。もっと楽しんでいいのだ。皆で光輝く未来を築いていこう!
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