
モモ太郎、虹の橋へ
ミニチュアダックスフントと初めて触れ合ったのは、妻と出逢ってからでした。
モモ太郎は、妻が私と出逢う前から妻と一緒に暮らしていた子です。妻にとっては、すでにかけがえのない家族の一員でした。人見知りをする子だったのですが、初めて会った私にはよく懐いてくれました。
「なんて愛らしくて、可愛い子なんだろう」
昔から犬にはよく吠えられていた私だったので、モモ太郎が懐いてくれたことがとても嬉しかったのを覚えています。そんな私とモモ太郎の様子を、妻は微笑ましそうに見ていました。
2003年、結婚を機に宮崎に
やがて私たちは結婚し、妻はモモ太郎と一緒に大阪から宮崎へ来てくれました。見知らぬ土地で不安だった妻のそばに、いつもいてくれたのがモモ太郎でした。
そしてモモ太郎を通じて、妻には宮崎でもたくさんの友達ができました。年末には我が家で忘年会をするのが恒例になり、何匹ものダックスが集まることもありました。
人見知りで内弁慶なモモ太郎にとっては、少々迷惑だったかもしれません。
外では大人しいのに、自分のテリトリーに他のダックスが近づくと、「俺様の領域に入るな!」と言わんばかりに吠える。そんなところも、モモ太郎らしくて可愛かった。
2005年、輝の誕生

2005年11月、息子の輝が生まれ、モモ太郎は、輝の「教育係」になりました。輝が泣くと、すぐにそばへ行って涙を舐めて慰めてくれる。でも、輝はそれが嫌で、余計に泣いてしまう(笑)。

そんな二人は、歳の近い兄妹のようでした。妻に抱っこしてもらおうと競い合ったり、オモチャを取り合ったり。兄妹のいなかった輝にとって、モモ太郎はかけがえのない存在だったと思います。

休日には一緒に散歩へ出かけました。キャリーや自転車の前カゴが大好きで、身を乗り出して風を切るモモ太郎。
そして何より特徴的だったのが、長く伸びた耳毛でした。ロン毛の頃のキムタクに、なんとなく似ている(笑)。
風になびく長い耳毛がとてもエレガントで、どこへ行っても皆の視線を集める子でした。

いつしか写真のファインダーにモモ太郎が収まることも少なくなっていきましたが、私たちがどこへ行くにも、モモ太郎はいつも一緒でした。
2009年10月4日、モモ入院
そんなモモ太郎の体調が急に悪くなったのは、10月4日のことでした。5日から9日まで動物病院に入院。一時は回復の兆しも見えましたが、8日には発作を起こし、妻から「モモが苦しそう」と連絡がありました。
10月9日、容態急変
私は仕事から帰って妻の話を聞きながらも、どこか現実を受け入れられずにいました。そして9日。
仕事を終えて家に帰り、玄関を開ける前、「今日もモモが出迎えてくれるんじゃないか」そんな気がしていました。
でも、そこにいたモモ太郎は、私が知っているモモとは違っていました。発作が起こり、牙をむき、歯をガクガクと震わせ、足を激しく動かしていました。
自分で寝返りをすることもできず、体勢を変えてほしい時には、「ク〜ン、ク〜ン」と弱々しく鳴きます。
それでも、声をかければ反応してくれる。だからこそ、余計につらかった。少しでも発作の間隔が長くなって、眠ることができればいい。少しでも苦しさが和らげばいい。
「モモ、最近散歩に連れて行ってあげてへんかったやん。明日は休みやし、行こか」
そう声をかけながら、ひたすらモモ太郎に寄り添いました。何度も発作を起こしました。それでも夜中、ようやく呼吸が落ち着き、モモが眠っていることに気づきました。
スポイトで水をあげると、飲んでくれました。それが嬉しくて、たまらなかった。しかし、その時間は長くは続きませんでした。
11日の朝方までは何とか安定していましたが、その後また発作が繰り返されるようになりました。そして次第に、その痙攣は小さくなっていきました。
12日の午前3時頃。家族みんなでモモ太郎に声をかけました。
「もう苦しまなくていいよ」
「モモは、もう十分頑張ったから」
10月12日、虹の橋へ
その日の朝10時頃。モモ太郎は、静かに虹の橋へ旅立ちました。息子の輝は、まだ「死」というものを理解できていませんでした。

でも火葬場で、
「モモを燃やさないで!」
「モモを連れて帰る!モモ、モモーッ!」
と泣きじゃくる姿を見て、私たちは改めて気づきました。モモ太郎は、私たち家族にとって、想像していた以上に大きな存在だったのです。

明かりの消えたリビングに置き去りになった風船を見て、
「モモ!?」
と一瞬思ったこともありました。妻は今でも、毎日のようにモモの夢を見るそうです。そして輝は、今まで描いたこともなかったモモの絵を、自分から描きました。
モモが家族になってくれて、本当によかった、ありがとう。一緒に過ごした時間は、かけがえのない宝物です。たくさんの思い出をありがとう。

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